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松平定信から容保へ。九段下と板橋を結ぶ「新選組」と「会津藩」知られざる絆の記録

みなさんこんにちは!お口の健康から全身の健康を創造する医療法人ユナイテッド理事長上原亮です。

本日は歴史好きの歯医者が東京研修の合間時間に訪れた話を文章にしてみました。

徳川の盾、義の系譜――九段下・田安門から板橋・近藤勇の墓へ

冬の澄んだ空気のなか、私は二週にわたる「時空の旅」を終えたような充足感に包まれている。

先週、インプラント研修のために足を運んだ九段下。そして今週日曜日に訪れた板橋。一見、何の繋がりもない二つの地点が、ある「高貴な血脈」と「武士の節義」によって一本の線で結ばれた。

今回は、江戸から幕末へ、時を越えて流れる「松平家の矜持」を辿った記録を綴りたい。

田安門のブログ

九段下・田安門に立つ――名君・松平定信の残り香

先週、研修の合間にふと足を向けたのが、旧江戸城の北の守り、田安門だ。

田安門写真 武道館につながります。

現存する城門のなかでも最古の形式を誇るその佇まいは、いつ見ても圧倒的な威厳がある。

ここ田安門の内側は、かつて徳川御三卿の一つ、田安徳川家の屋敷があった場所だ。私が門をくぐりながら思いを馳せたのは、この地で生まれ育った一人の天才、松平定信のことである。

定信は田安家から白河藩松平家へ養子に入り、後に「寛政の改革」を断行して、揺らぎかけた幕府の屋台骨を立て直した。家康の再来と謳われた名君の「理想の武士道」は、この門を抜ける風のように、静かに江戸の町に染み渡っていった。

定信の血が繋いだ「会津」と「桑名」

しかし、歴史の糸はここからさらに興味深い方向へと紡がれていく。定信の血脈は、白河からさらに別の地へと広がっていったのだ。

定信の実子である松平定永は、父の跡を継いだ後、白河から伊勢桑名藩へと転封(国替え)となる。ここが、幕末の悲劇へと繋がる重要な分岐点だ。

定永の息子、すなわち定信の孫にあたる松平義建は、美濃高須藩の藩主となった。そして、この義建の息子たちこそが、幕末の歴史を大きく動かすことになる。

その一人が、高須藩から名門・会津藩へ養子に入った松平容保。 もう一人が、父の故郷である桑名藩を継いだ弟・松平定敬(さだあき)である。

つまり、幕末の京都で「一会桑(一橋・会津・桑名)」として徳川を支えた中核、容保と定敬の兄弟は、九段下の田安門で育った定信の直系のひ孫にあたるのだ。名君・定信の「徳川を守る」という魂は、時を経て、会津と桑名という二つの藩の形を借りて、再び歴史の表舞台に現れたのである。

幕末の板橋――近藤勇、散りゆく者の美学

そして今日、私は板橋駅前に立っていた。目的地は、新選組局長・近藤勇、そして永倉新八の墓所である。

板橋は、近藤勇が下総流山で捕らえられ、その生涯を閉じた終焉の地だ。慶応四年四月二十五日。かつて京の町を長州焼き討ちから守り、誠の旗を掲げた男は、ここで刑場の露と消えた。

墓所に足を踏み入れると、ひときわ高くそびえ立つ大きな石碑が目に飛び込んでくる。永倉新八が明治九年に発起人となって建立した「新選組隊士供養塔」だ。

このあたりは後日ブログにまとめたい。

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碑文に刻まれた、時を越えた再会

ここで、先週の九段下の記憶と、今日の板橋の景色が、一人の人物を通じて鮮やかに繋がった。

この供養塔に刻まれた「近藤勇 宜昌」「土方歳三 義豊」という力強い文字。これを揮毫(きごう)したのは、他でもない元会津藩主・松平容保その人である。

定信から、定永(桑名)、義建(高須)を経て、曾孫である容保(会津)へ。 江戸を立て直した定信の血は、幕末、最も過酷な運命を背負った「京都守護職」の身体に流れていた。そしてその容保を「殿様」と仰ぎ、最後まで盾となって戦ったのが、近藤勇率いる新選組だったのだ。

明治という新時代、かつて「朝敵」とされた新選組のために、元藩主が筆を執る。それは、定信から受け継いだ「徳川への忠義」という魂を共有した者同士の、魂の再会だったのではないだろうか。

旅を終えて――「誠」を継ぐということ

先週の九段下での研修は、現代の技術を学ぶためのものだった。しかし、その合間に触れた歴史の断片が、今日の板橋での感動を何倍にも深めてくれた。

松平定信が田安門を通って目指した「徳川の安泰」。 その血を引く容保が、会津という地で花開かせた「不退転の義」。 そして、その義に殉じた近藤勇。

板橋の静かな墓所に手を合わせながら、私は改めて歴史の重みを感じた。私たちが今、当たり前のように生きているこの街の地下には、こうした熱い志を持った人々の足跡が幾層にも重なっている。

明日から書くこのブログが、彼らの「誠」を現代に伝える、小さな供養の一助になればと願っている。

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    きょうもご覧いただきありがとうございました!


【編集後記】 板橋には初めて行きました。なんか23区内とは思えない落ち着いた場所です。板橋駅すぐの墓所にある石碑の裏側には、建立に携わった隊士たちの名も刻まれています。新選組が最後まで信じた「会津の殿様」との絆。九段下を訪れる際は、ぜひそこから会津へ、そして板橋へと続く、見えない糸に思いを馳せてみてください。

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